小さい時からモノづくりが好きでした。

私は青森県の出身です。
青森県で過ごした子供時代、よく車のプラモデルを作って友達と走らせて遊んでいました。

プラモデルはパーツを切って組み立てれば車の形になりますが、私はそれだけではつまらないと思い、専用の塗料を買ってきて色付けまでして、よりリアルな車に近いプラモデルを作っていました。一緒に遊んでいた友達や両親が、私が作ったプラモデルをほめてくれたことがとてもうれしくて、ますます力を入れてプラモデル作りをするようになりました。

今思えば、家づくりをするときに細部まで全力を尽くして仕上げていくことや、お客様に喜んでいただき当社の家づくりをお褒めいただくと、このお客様のためにもっと喜んでいただくためにはどうしたら良いのだろうかと真剣に考えてしまうことなどは、この私の子供の頃の体験からきているような気がします。

建築家を目指したきっかけ

私の叔父は地元で測量事務所を経営しています。子供の頃その叔父はとても羽振りが良く、仕事をしている姿もとても恰好よく見えました。
多少不純な動機かも知れませんが、その叔父の姿にあこがれて「大人になったら測量技師になりたい」と思ったのが、私が建築業界を志望した動機です。

ところが、私が中学生の時、友達がどこかで『測量技師よりも建築士の方がすごいんだ』という話を聞いてきました。その話を信じて、「それなら建築士を目指そう」と、将来の夢を変更したのです。

建築業界で仕事をするようになると、測量技師も建築士もどちらがすごいということはないことはわかるのですが、中学生の時の友達同士の話で志望を変えるというのは、我ながら純粋だったんだなと思います。

しかし、その話を聞かず、測量技師になっていたとしたら、今までTKプランニングで家を建てていただいた施主様とお会いすることもできませんでしたし、私自身ワクワクする家づくりができていなかったわけですから、やはり建築家を目指したことは正解だったと思っています。

建築士を目指して上京

高校を卒業すると、建築士の勉強をするために上京しました。当時、青森県には建築系の専門学校がなく、自分の夢をかなえるためには上京するしかなかったのです。

東京に行く時に、両親は私が故郷に帰ってくることはないだろうと思ったそうです。家を出る時、両親はとても寂しそうにしていたことを覚えています。
実際に青森に帰ることはできませんでしたが、私の夢のために笑顔で送り出してくれた両親に心から感謝しています。

建築家を目指したきっかけ

東京の学校を卒業した後、新宿の工務店に就職しました。
その会社では現場監督として仕事をさせていただきましたが、現実は現場の片付けばかりの毎日で、設計の仕事はさせてもらえませんでした。
このままでは、建築士になるという自分の夢をかなえることが難しいと思い、転職を決意しました。

次に就職したのは、設計事務所です。この会社で建築設計の基本を学び、二級建築士の資格を取得することができました。

この会社で働いたことで、私の夢が一歩前進することができたのです。
この会社もある事情で辞めなければならなくなり、次は羽村市の工務店に就職しました。

この会社の就職試験の面接のときに「26歳で一級建築士の資格を取れなければ会社を辞める」社長に宣言してしまいました。今思えば赤面するばかりですが、自分としては夢の実現を、そのくらい真剣に考えていたのです。

就職した後、この会社では設計兼現場監督として仕事をしました。
あるとき、社長が「半年間仕事をしなくて良いから一級建築士の資格を取るための勉強をしろ」と言い出しました。私は生活ができなくなるので無理だというと、「半年間給料は保証するから勉強に専念しろ」と言ってくれたのです。

正直、仕事をしながら一級建築士の資格を取得するのは難しいと思いはじめていたので、社長の言葉に甘えて、半年間勉強の時間にあてさせていただきました。同僚たちも半年仕事を休むことを喜んで受け入れてくれたのです。

しかし、社長や同僚たちがそこまで私に期待してくれている気持ちをありがたいと思うと同時にものすごいプレッシャーを感じ、「もし、不合格であれば死んでお詫びするしかない」と思いながら真剣に勉強しました。私の一生の内で、あれほど勉強した時期はありません。

そうして、私は26歳で一級建築士の試験に合格することができたのです。一級建築士は専門の学校を卒業した後、一定期間の現場経験がないと取得することができない資格なので、最短での合格です。

会社にその報告に行くと、社長も同僚たちも我がことのように喜んでくれました。

この会社で働くことができたことで、自分の夢をかなえることができたのです。また、この会社にTKプランニングの原点があるのです。この会社の社長とは、今でも盆暮れの挨拶は欠かしていません。行くたびに、私が経営者として会社を続けていることを本当に喜んでくれています。

お客様のためというのは当然ですが、私の子供の頃の夢の実現のために協力していただいた社長やあの時の同僚のためにも、どんなことがあっても会社を続けていかねばならないと思うのです。

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